「オブラート」 [言葉orイラスト]
憎しみを日常というオブラートに包んだところで
その毒が消えるわけではない。
そんな風に小手先でごまかしたりするから
致死量が分からなくなってしまうんだ。
それよりは生のままの憎しみを舌先で舐めて
口に広がる苦さを味わった方がいい。
痺れる痛みに慣れた方がいい。
すみません、暗い内容で。…って、私の文章は押しなべてみな暗いのですが(^_^;)。
先日のにこちゃんとのデートの際、上野で蓮を撮ってみましたが、夜7時過ぎで暗く、もう写真としては
全然ダメダメでした~。フラッシュ焚いたら、ただ、写ってるだけ、という画に ↓ なってしまって☆
で、トリミング&カットアウトかけてポスターのように仕上げたところ、何故か昔書いた上の文章が頭に
浮かんできました。2001年のメモ帳に書き付けていた言葉でした。よっぽど煮詰まっていたんでしょうね(笑)。
ジーザスとユダ。 [言葉orイラスト]
昨日は相方からチケットを貰って、劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター・ジャポネスク版」を観に行っていました。
ジーザス最後の7日間を描いた物語で、以前、エルサレム版・ジャポネスク版を一度ずつ観ているので、これが三回目となります。
何というか、緩みの少ない(笑いが少ない?)、ロックオペラ調の厳しい舞台なので、観て「あ~、楽しかった!」というような
ものでは全然ありませんが、考えさせられるところは多々ありました。人間としてのジーザスとひたすらに救いを求める人々、
マグダラのマリアに激しく嫉妬するユダ、入り混じる司祭たちの政治的な思惑、神の子、救いの手とあがめながら、いざとなると
手のひらを返したように「十字架にかけろ!」と叫ぶ民衆の愚かしさ…。
神は自分を見捨てたのか?自分は神の子なのではなかったのか?と激しく煩悶しながらも、最後には「私の魂を御手に
委ねます…!」と十字架の上でこと切れるジーザス…。
……というストーリーなのですが、このジャポネスクバージョンは全員が歌舞伎メイクをしていて、舞台美術も大八車だけ、という
恐ろしく簡素なもの。しかし、それが却って観念に訴えかけるような力があって、もともとの演出(エルサレムバージョン)を
超える様式美を感じさせてくれました。初演が30年以上前の作品なので、音楽はさすがにちょっと古臭い気もしましたが、
ユダを演じる芝清道さんはさすがの歌唱力で魅せてくれました(^_^)。
で、今日の朝、なぜか6時前に目が覚めてしまった娘に起こされ、時間つぶしに絵を描いていたのですが、最初はそんなものを
描くつもりはなかったのに舞台の印象が残っていたのか、気が付くとジーザスとユダのイメージで仕上げてしまいました。
Painter9.5で描いています。
上の絵になる前はこんな感じでした。でも、幕が綺麗に描けなかったので、全部「厚みならし」をかけて
潰してしまいました。で、その幕の残りがユダになりました。キャプチャーでjpeg化してます。
さらにその前はこんな感じ…☆ まだ何を描くか全然考えていませんでした。
いつも何となくで私の絵は生まれてきます(^_^;)。
7年経って。 [言葉orイラスト]
ロケットのHPについて、前記事では色々お聞かせいただき有難うございました。Macだと駄目なのかな?と思ったのですが
そうでもなかったり、ウィンドウズIEなのに駄目だったり、原因が微妙に分からないのですが、しばらくこのまま走らせて
みます~。
今日は写真ではなく、7年前に初めて自分のサイトを作った時のイラストを集めてみました。ボタン代わりにしようと思って
描いたものや、文章の挿画的に描いたものや色々です。
その頃はペインターも持っていなかったので、全部フォトショップで描いていたのですが、考えてみれば中々強引ですよね(笑)。
今やれ、と言われても出来ないかも…(^_^;)。
当時は初めての子育てや様々な問題を抱えていて、暗い海の底を歩いているような時期でした。
見えない水圧が常に身体を押しつぶそうとするようで、息をしようとしても冷たい水が肺を満たしていくようで、
どこまで行けば出口が見つかるのか分からないような状態でした。
それがまあ、こんなに元気になっちゃって(笑)、と思えるのは本当に有難いことです。当時書いた文章やこういう
イラストを見ても、「暗いなー」と笑い飛ばせることは。
今、色々と辛い思いをしている方々がおられると思います。でも、誠実に生きていれば、いつか必ずその辛いことは
終わります。その時を待ちましょう。時の流れは癒しの手でもありますね。
「日と蝶と」 [言葉orイラスト]
強い強い風の中で
触角は折れてしまった。
休むことも出来ずに
羽ばたき続けた翅も千切れてしまった。
ただ、濡れた地面に落ちて
あなたを想う。
あの厚い雲の向こうに、あなたはいるの?
今でもまばゆいほどに輝いているの?
それなら最後の光を投げかけて欲しい。
生まれたての私の翅を開かせたあの熱を。
星がめぐる前に。
夜が来る前に。
私の冷たいこの身体に。
土に還るその前に。
記憶の人々。 [言葉orイラスト]
暗い絵を続けて二枚出したので、少し明るめのものを…って、色はともかく、内容は
暗いかも。(^-^;)
これはペインターⅨ(よく見たらⅨ.5となっていました)で、パステルと透明ニスを使って
描いています。20年近く同じようなモチーフが頭から離れなくて、どの画材を使っても
気が付くとこういう感じの絵になってしまいます。色んな楽器で同じメロディを奏でるみたいに…。
でも、もっと違う絵も描ける様になりたいです。まったくの独学で、基礎がなっていないので、
まずはそこから改革しなくちゃいけないのかもしれませんが(苦笑)。
上の画像では縮小しているためにつぶれていますが、実際はこんな風にちゃんと
ニスしてます~(^-^)。
祈りのパズル。 [言葉orイラスト]
誰かの祈りを一つ進めると
誰かの願いが一つずれてしまう。
神様の電話は混線中。
前々記事で出した「森の底」とはちょっとタイプの違うイラストです。あちらは実際に紙で
描いてもほぼ変わらないものが描けると思いますが、こちらは完璧にソフトの表現力に
頼っていて、紙では無理です~(^-^;)。
頭の中のイメージでは、パズルらしく全体にモザイクのようなエフェクトをかけて仕上げようと
思っていたのですが、実際にやってみたらボケてしまってダメでした。
PainterⅨはブラシが多すぎて、まだ一通り使ったとは言えない状態です。早く、完全に
使いこなせるようになりたいです…が、私が描いていると「私がやる!」「アタシがやりたい~」
と、子供たちがやってきてパソコンを奪って行きます(T_T)。あんたたちはまず紙で描き
なさいよ!と言っても、「やりたいんだもん♪」とユニゾン。しばらくは攻防が続きそうです。
追記:
>でも、masugiさんのHPにあるイラストとは、
若干タッチが違いますね。。
それはやはり、生活環境の変化なのでしょうか?
…と、前々記事についてふみふみさんからコメントを頂きましたが、ただ、単に描き方の違い
だと思います。「ハルト」のシリーズは黒い紙に、アクリルガッシュを使って一発勝負で描いて
います。下描きなしの、その時の思いつきだけで…。
でも、「森の底」は一応、ラフイメージを決めて、パソコンで描いています。パソコンで
描くときは、レイヤーを重ねておかしい部分だけ取り除いたり、何度もやり直しが出来るので
すこし丁寧に作る事が出来ます。その違いでは無いでしょうか。自分ではよく分かりませんが…。
追記その2: 大体、この絵にかかった時間は2~3時間というところだと思います。
ものによって一枚にかかる時間はばらばらですが、それくらいが多い気がします。
森の底。 [言葉orイラスト]
森の底まで辿り着いた。
ここに来れば失われた人に逢えるという。
けれど聞こえるのは風の音ばかりで
あなたはいない。
ただ、見上げれば
死者の舟だという月が
森の木々と私を照らしている。
あなたがいた日々のように輝かしい
今の私には眩し過ぎる、その光で。
追記: 先日スタバでこりこり描いていた初期イメージはコレです。
新潮文庫のマイブックは何かと使いやすいですよ~。日付は完全に無視していますが。(^-^)
追記2: 使ったソフトはPainterⅨです。
エッセイ・クリスマスの精霊。 [言葉orイラスト]
「サンタさんはいるよね」真面目な顔で娘が言う。
「いるよ、もちろん」私も真面目な顔でこう返す。
今年もクリスマスが近づいてきた。
小さな頃、私のところには一度もサンタクロースが来なかった。
いや、保育園にいた頃、いかにも付け髭でカツラのサンタがやってきた事はあった。
みんなに同じ小さなプレゼントを配って、一緒に歌を歌った。日本語だった。
市役所の車に乗り込んで帰っていくのを、みんなで手を振ってお見送りしながら、
「何でトナカイのそりじゃなくて、車なの?」と先生に訊いたら、
「ここは温かいから、雪が降っていないでしょう。雪がないとそりでは
来られないのよ」と言われて、なるほど、と納得した覚えがある。
家に帰って、兄に「サンタさんが保育園に来たよ!プレゼントもらった!」と
言ったら、「アホやなあ、サンタなんか本当にいると…」と言いかけた兄が
後ろから母に『余計なこと言うんじゃない』と言う感じでどつかれて、
口をつぐんだのも覚えている。
私のクリスマスはそんな感じだった。
「キリスト教徒でもないのに、そんなお祝いしなくていい」という雰囲気が我が家を覆って
いた為、家で何かをしたという記憶がない。
私にとってきらめくイルミネーションやツリー、サンタクロースは
どこまで行っても、物語の中で静かに光を放つだけで、まるでスノードームのように、
ただ外から眺めるしかないものだった。
「サンタさんはいるよね」
いつしか私も親となり、クリスマスが近づくと必ずこの質問が娘たちの口から出る。
「いるよ、もちろん」
私は真面目な顔でこう返す。いまや私が夢の番人なのだ。そんなに簡単に娘たちの
夢を壊すわけにはいかない。
「子供にそんな嘘を教えてもしょうがない」と言う人は必ずいる。ファンタジー=嘘だと言う人が。
しかし、夢は大人になるまでのさなぎの繭のようなもの。身も心にも時が満ちて、内側から
破られる日まで、決して外から剥いではならないものなのだ。
それに、今でも私はサンタクロースが嘘だなんて全然思っていない。
確かに「赤い服を着て、白い髭を生やした優しい目のおじいさん」と言うのは幻想かも
しれない。しかし、サンタクロースというのは「誰かの幸せを祈ること、誰かの夢を守ること。
誰かに喜びをもたらしたいと行動すること」のシンボルであり、それぞれの
心の中に棲むものなのだ。スピリット(精霊)のように。
そう、私こそがサンタクロース。あなたたちのサンタクロース。
心の中でつぶやきながら、娘たちの光る繭を思う。
やがて、娘たちの中にも精霊が宿るのだろう。
今年もまた、クリスマスがやってくる。
「光は繋がる」 [言葉orイラスト]
777記事になりました。…というか、全然考えていなかったのですが、前記事のコメントで
あかまるさんからそのことを教えていただいて、慌てて1時間半くらいで描きました(^-^;)。
コーレルのPainterⅨを使っています。
『光は繋がる』なんていうと、フレッツ光のコマーシャルのようですが(笑)、私たちがリアルな
身体から抜け出して、このブログという場で心だけで交流していること、よく考えればとても
不思議なことですよね。
大人になってからは、知り合いは多くても友人というのはなかなか出来にくいものですが
(もちろん、人によりますけど☆)、このブログという中で知り合えると、お互いの心に日々
触れているようなものなので、現実に会っても違和感なく仲良くなれる…とオフ会の際に
ご一緒になった方ともお話ししたことがありました。本当にそうだと思います。
少しずつ繋がる光と光。もちろんネットの中には、悪意や猥雑なものもあふれていますが、
自らは常に光の方を向いて歩いて行きたいと思っています。
昨日も、今日も、明日も変わらぬ足どりで、一歩ずつ、一歩ずつ。
「風」 [言葉orイラスト]
あなたは私をあなたの熱で汚し
私はあなたをただの名の無い男にした。
窓から見える空は
いつも白。
風は私たちを通り抜け、帰ってこない。